皆様から頂いた応援メッセージを掲載いたします

医師の過労死家族会 一周年によせて
Medical Excellent Japan CEO
渋谷 健司 先生

厚労省の「医師の働き方検討会」で、そこで提案された施策案では過労死を防ぐには至らないと痛感し、副座長を辞任して以来、この問題から距離を置いていました。しかし、当時お世話になった中原さんから突然連絡を受け、息子さんを過労死で亡くされた高島淳子さんのお話を聞いてほしいとの依頼がありました。医療界の改革が進みつつある中でも、こうした悲劇が今なお繰り返されている現状に強い衝撃を受けるとともに、この問題に背を向けることは許されないと改めて決意しました。そして家族会に参加し、できる限りの支援をすることを決めました。

高島さんや中原さんが、深い悲しみの中でも真摯に、そして前向きに過労死の実態を訴え続ける姿には、心を揺さぶられました。その姿に勇気をもらいながら、私も微力ながらメディアを通じて発信を続けてきました。勤務医が直面する過酷な現実や、「自己研鑽」や「宿日直許可」という名の下で隠されてきた過労の問題が、ようやく少しずつ社会に理解され始めています。また、現場でも危機感を抱き、時短や生産性向上に向けて取り組む医療機関が増えていることに希望を感じています。

「時短は目的ではなく、改革の結果である」という言葉はその通りです。しかし、時短が実現できないようでは、他の改革も成功するはずがありません。時短を進めるには、リーダーの存在が欠かせないのです。今後も現場の医師や被害者に寄り添い、現場での前向きな時短の実現に向けた取り組みを応援しながら、家族会の活動を全力で支えていきたいと考えています。

医師の過労死家族会 一周年によせて
全国医師ユニオン代表
植山 直人 先生

全国医師ユニオンは2009年に結成されましたが、この結成は医師の過労死問題が主な要因と言えます。私たちは医師の過重労働を無くすために、様々な活動を行なって来ましたが、医師の過労死がなくなる事はありませんでした。

医師の過労死家族会が発足して早一年が経ちました。

中原さん高島さんをはじめとする過労死遺族の方々が中心となり、心ある人たちの応援の下で確実な歩みと実績を作ってこられたと思います。医師の過労死問題が多くのマスコミに取り上げられ、そのことによりこれまで声を上げることができなかった人たちの貴重な受け皿となっています。

一方で医師の働き方改革において厚労省は適切な対応を取っていません。若い医師の血のにじむ労働を研鑽ということでごまかし、最も過酷な労働の一つである夜間の当直を宿日直許可という制度で労働時間と認めないとするなど、許すことができない対応を取っています。これらの政策は過労死遺族の苦しみに背を向けるものと言えます。

また、医師の過労死裁判においても病院側が自らの過ちを認めることなく、被災者医師を侮辱するような主張を行うなど、遺族をさらに苦しめる事態も起きています。

残念ですが、医師の過労死家族会の役割はますます大きくなっていると言えるでしょう。

日本の全ての医師が健康でやりがいをもって生きいきと働ける未来を創るために、今後も活躍されることを心から祈念しています。

医師の過労死家族会 一周年によせて
(株)ワーク・ライフバランス 代表取締役社長
小室 淑恵 様

50の病院組織の働き方改革を支援してきました。

過労死、過労自死によって医療従事者の未来が

奪われ続けていること、ご家族の心の痛みもはかりしれません。

そして医師の長時間労働は、患者さんの命や医療安全に大きく関わります。国家戦略として、全力で取り組むべき課題ではないでしょうか。

しかしながら、病院の対応は二極化しています。医師や看護師が真摯に働き方改革に向き合って職場改善に取り組む病院がある一方で、宿日直許可や自己研鑽扱いの拡大でその場しのぎの対応をしている病院が増えています。

本質的な働き方改革から逃げる病院経営者を放置・助長するような仕組みを、厚労省は見直すべきです。

今後も、医師の過労死家族会のサポーターとして、日本の優秀な医療従事者が持続可能に働き続けられるよう、私たちの働き方改革のノウハウを提供できればと思います。

娘が医学部生です。人ごとではありません。

また、医学部生の母親でなくても大きな社会問題です。

微力かつ少額ですがご寄付をさせて頂きたく存じます。

K.T様

 娘、日出美は、麻酔科医でしたが、悪性高熱症の患者さんと二度も出会ったことから研究の道を志し、6年間の研修を終えると同時に大学院医学研究科博士課程に入学しました。2014年4月のことでした。

悪性高熱症とは麻酔を契機として起き、死に至ることもある難病です。その原因等は未だ解明されていません。

動物が大好きだった娘は動物実験をしたくありませんでしたし、患者さんにも筋肉を切り取るという負担をかけたくないため、生理学教室との共同研究という形でiPS細胞を用いる実験を開始しました。iPS細胞を用いて悪性高熱症を解明するという研究は世界でも初めてのことでしたが、これらのことが娘を死へ導く要因となります。生理学教室との共同研究ということは研究仲間が居ないことを意味し、世界初ということは的確な指導を受けられなかったことに繋がるからです。研究が進むにつれて麻酔科の高度な知識が必要となるため、他科の指導者では対応できなかったようです。

娘は大学院生として毎日夜遅くまで研究に励みながら、麻酔科医としての仕事も続けていました。毎週金曜日の静岡の病院への派遣、月2回のICUでの当直、その他、都内やさいたまの病院からの当直も引き受けていました。人さまに気を遣う娘は大学病院以外の仕事も断ることができなかったからです。それらの仕事を終えた後も必ずラボに行って実験を続けていましたので研究開始から亡くなるまでの一年半、娘には一日の休みも無く、日々の労働時間も12時間を超えていたと思われます。

そんな中でも娘は麻酔科専門医試験に合格し、研究開始からわずか一年の研究要旨が米国の麻酔科学会から優秀演題として認められ、サンディエゴの学会で口頭発表することが決まりました。しかし、このことがまたしても娘を追い詰めることになりました。実験結果が自分の思っていることと反対になるので実験量を2倍にすると言って更に無理をするようになったからです。孤独の中、研究に没頭した娘は研究と自分の命を引き換えるようにして自死しました。学会発表のひと月前のことでした。


私は、娘の死の直後から「私が娘を殺した」という強い自責の念によって、重いウツ状態となり、心身ともに正常ではいられなくなって娘の死後を守る行動をなにひとつ取ることができませんでした。

現在は娘の生きた証を残すために短歌を詠んでいます。

2024年6月、『亡き子とともに生きるー自死遺族日記―』と題した歌集を自費出版しましたが、その帯に下記の文を記し、ささやかな願いを訴えています。


国の機関、あるいは医師会には、娘のような立場の者を救える機関、たとえば研究医としての悩み相談室の開設など、早急に組んでほしいと願う。医師の働き方改革の一環として、研究時間の制限を設けてほしい。また、研究に専念できるよう、医師としての仕事を遠慮せずに断ることができる自由を与えてほしい。娘のようにまじめで一生懸命になりやすく、人に気を遣うタイプの人間が追い詰められなくてもすむ環境を一刻も早く整えてほしい。

日出美の死は過労死と言ってよいと思うが、自分の意思で実験を続けたのだからどこへ相談することもできないでいる。人間関係で辛いとは言っていたが、実験が辛いとは一度も言わなかった。

何事にも懸命に努力して取り組んできた日出美、三十二歳で亡くなるのなら「そんなに頑張らなくてもよかったね。もっとゆっくり自分の好きなことをするとよかったね」と言ってやりたい。

日出美の尊敬する人物は「ガリレオ・ガリレイ」、座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」だった。だから懸命に生きた。(亡き子とともに生きる ―自死遺族日記―

本文より)


日出美といふ人間の形ここに在りたましひ再びこの子にもどれ


これの世にありふれてある生と死に生かされて日出美の母となりけり


子とともに在るあかしとやこの頃を二輪づつ咲くさくらんぼの花

自助グループ自死遺族すまいる所属
神奈川県内の自死遺族の集い(わかちあいの会)スタッフ

仰木 奈那子 様

郵便局員過労死家族会の共同代表をさせていただいております。

中原のり子さんには過労自死した夫の裁判などで大変お世話になりました。

今度は私がサポーターとして支援させてください。

郵便局員過労死家族会 共同代表
小林 明美 様

過労死等防止対策推進シンポジウムの埼玉会場に参加しました。このシンポジウムには現職の頃から参加していましたが、定年退職後も元労働基準監督署長の義務と考え、個人的に毎年参加しています。過労死遺族様の体験談は佐戸未和さんのお母様、基調講演は愛媛大学名誉教授の長井偉訓先生でした。長井先生の講演では、甲南医療センターの高島晨伍さんを含め多数の方々の過労死・過労自殺の実態について説明していました。今後も、貴会を微力ながら応援したいと思っています。

埼玉県 深澤過労死問題研究所
深澤 健 様